2005年11月8日のぼやき

「いろいろ変わったよな」


 レコードからCDそしてMD、それからなんて言うねやろアイポットみたいなやつ、最近ではうちの息子は携帯電話で音楽を聞いている。
 仕事にしてもフィルムからビデオ、パソコンができなかった私までがコンピュータで編集している。
 ちょっといやらしいと思われるかもしれないが、近頃パンツの見え方まで変わってきた(この話はちょっとずれてるなあ)昔はスカートの下からというか奥というか見えるか見えないか…。とにかくチラットのぞき見るものだった。しかし今はどうだろう、わざわざのぞかなくてもそれも上から、パンツどころかお尻まで見えそうな勢いだ。こうなるともうエロくもなんともない。一応見るけど。(みんねやないかい!)
 話がだいぶそれてしまったがもとに戻すと、例えばテレビ番組なんかもちょっと前までは田舎に行くと天下の NHKしか映らなかったが今や何十チャンネルあるのだろう。ましてやコンピュータさえあればあらゆる情報が動かないで手に入れることが出来る。
 私が生まれてたった42年しかたっていないけど、その間にも随分いろいろ変わったなあと思う。
 それらを否定するつもりなどさらさらない。ただ時々立ち止まって考える必要はあるように思う。
 私が気がかりに思うことは便利になればなるほど、プロセス(過程)がはぶかれるということである。
 街角のラジオから流れる音楽のワンフレーズだけをたよりに、ようやく手に入れたレコードに傷つけないように、針を落とす…。CDでは聞こえてこない、プツプツという音と一緒に聞こえて来るギターの音はやはり特別なものになるような気がする。
 やっぱり1曲の音楽を聴くためにいろんな思いを廻らし、プロセスを経てやっとその曲に辿り着く…。「苦労して」というか、「ようやく」というか、とにかくそんなことが必要なのだと最近つくづく思う。
 パンツにしてもずっと念じつづけ、春風のいたずらなんかで、ふわっとスカートがひるがえり、チラット見えるから感動するのである(やっぱりこの話は完全にずれとる)。
 花はんめはそういう意味では、創る過程も上映会も「苦労して」、「ようやく」と言うプロセスの連続である。だからこそ他ではなかなか味わえない作品への手応えや人とのつながりを強く感じることが出来る。なかなか儲からないけど、結構素敵なことかもしれない。
 
 日々金儲けの事や、いかにして楽に生きようか、なんてことばかり考えているけれど、これからもきっとイバラの道を進んでしまいそうな気がする。まあしょうがないか。
 
                                秋深まる11月  金聖雄